毎日、パソコンのキーボードや、スマートフォンの画面ばかりを、見つめていませんか。 情報の洪水の中で、心がざわつき、知らず知らずのうちに、呼吸が浅くなっている。 そんな、現代を生きる私たちにとって、「一本の筆を持ち、心を込めて、ただ、ひたすらに文字を写す」という時間は、想像以上に、豊かで、贅沢なものかもしれません。
「写経」と聞くと、「達筆な人がやるもの」「仏教の教えに詳しくないと、難しそう」といった、高い敷居を感じてしまう方も、いらっしゃるでしょう。
どうか、ご安心ください。 愛知県小牧市の祥雲寺で開かれている写経会は、経験や、字の上手い下手を、一切問いません。 「静かな時間の中で、何かに没頭してみたい」 そのお気持ちさえあれば、どなたでも、いつでも、ご参加いただけます。
よくあるご心配に、お答えします
問:「私は、字が下手なのですが、参加して、恥ずかしくないでしょうか?」
**答:**全く、ご心配には及びません。断言いたしますが、写経において、字の上手い下手は、一切関係ありません。 写経の目的は、美しい書作品を仕上げることではなく、一文字、一文字を、丁寧に写していくその「行為」を通じて、ご自身の心を整えることにあります。仏様は、文字の巧拙ではなく、そこに込められた、あなたの真摯な「心」を見ておられます。どうぞ、安心してお書きください。
問:「書道の道具(筆、硯、墨など)を、何も持っていません」
**答:**手ぶらで、お越しください。写経に必要な、筆、墨、硯、そして、お手本をなぞるための用紙まで、全ての道具は、お寺でご用意しております。皆様にご準備いただくものは、ただ「静かに過ごしたい」という、お気持ちだけです。
問:「お経の意味が、全く分からなくても、大丈夫ですか?」
答:- もちろんです。最初から、お経の深い意味を理解している必要は、全くありません。まずは、漢字一文字一文字の「かたち」に意識を集中し、心を込めて、丁寧になぞり書きをすることから始めましょう。 その無心になる時間こそが、心の安らぎに繋がります。続けていくうちに、自然と「この言葉は、どういう意味だろう」と、興味が湧いてくるかもしれません。そんな時は、遠慮なく、住職にお尋ねください。
問:「檀家でなくても、参加できますか?」
**答:**もちろんです。祥雲寺の写経会は、坐禅会と同じく、地域に開かれた会です。檀家様であるかどうか、特定の信仰をお持ちであるかどうかに関わらず、どなたでも、心から歓迎いたします。
写経で得られる、功徳とよろこび
写経に集中する時間には、私たちの心に、様々な良い効果(功徳)があると言われています。
- 心の平穏と、ストレスの軽減 目の前の一文字に意識を集中させることで、日常の悩みや、不安といった、様々な雑念から、自然と心が離れていきます。これは「書く瞑想」とも呼ばれ、高いリラックス効果が期待できます。
- 集中力の向上 「止め」「はね」「はらい」といった、一画一画に注意を払う作業は、現代人が失いがちな、一つの物事に深く没頭する「集中力」を養う、素晴らしい訓練となります。
- 願いを込める(祈願・追善供養) 写経は、古来より、願い事の成就(祈願)や、ご先祖様や故人への感謝(追善供養)のために行われてきました。一文字一文字に、大切な誰かの健康や、ご自身の目標達成への願いを込める。そうすることで、書き上げたお経は、あなただけの、尊い「祈りのかたち」となります。
おわりに
祥雲寺の写経会は、誰かと比べる場所ではありません。 ただ、静かに、自分自身の心と向き合い、筆先に集中する。その穏やかな時間の中で、日々の疲れを癒やし、新しい自分を発見する。そのような「場」でありたいと、願っています。
字の上手い下手も、経験も、何も必要ありません。 必要なのは、「少し、静かに書いてみたいな」という、あなた様の、ほんの少しの好奇心だけです。 愛知県小牧市の祥雲寺で、墨の香りに包まれながら、心豊かな時間を、ご一緒しませんか。